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自分は意志薄弱なのじゃないだろうかとかフムムと考えてみた

0525hakujaku

学生の頃、クラスメイトに意志薄弱と言われた事がある。和やかな雰囲気で複数人で話していた最中に唐突に浴びせられたその言葉は僕の胸に突き刺さった。その後に自分が何を言ったのかは覚えていない。ただその言葉がぐわわんと響いた事だけを覚えている。「意志」が「薄く」て「弱い」。なんたる言葉の殺傷能力。

自分では己の意思が弱いなどと全く思ってもいなかった。むしろ意志がある方だと思っていた。ただその言葉に揺さぶられたという事は、どこかで図星に感じてしまったのだろう。自分は意志が薄くて弱いと。

改めて意志薄弱という言葉を調べてみた。
■意思が弱く決断する事ができない
■物事を我慢する事ができない
■一度決めた事を他人の意見で覆す

大体このような意味らしい。ふむむ、改めて調べて自分で書き出してみると傷つくものだ。傷つくという事はやはり何かしら自覚症状があるのだろう。

意志が弱く決断する事ができない

自分では自分の意思で決めて決断しているつもりだ。しかしそれは本当に自分の意志での決断なのだろうか。周りの意見・メディアの情報・場の空気などで決めてしまってはないだろうか。100%自分で決めていると言えない気がする。ペペロンチーノが食べたかったとしても、何らかの理由をつけて焼飯を食べてしまっていないだろうか。自分の意思とはどこからが自分の意志なのだろう。周りの意見に耳を向けずに自分の心・感情だけに従って行動するのが自分の意志なのだろうか。

ん?書いている事が少し違う気がしてきた。今のポイントは「決断する事ができない」の部分だ。間違っていた。ちゃんと何について書くかを決めてないからこうなるのだろう。とにかく決めれば良いのだ。ペペロンチーノを諦めて、焼飯を食べたとしても自分で決めて食べていればそれは意志を持って食べたことになるのだろう。よし。焼飯を食べる時には焼飯を食べるぞと硬く心に決める事を硬く心に決めた。

物事を我慢する事ができない

なるほど。自分は我慢できないのかと聞かれると、どちらかと言えば我慢強い方だと思っていた。少し話は変わるが長距離走は我慢比べだと思う事がある。子供の頃、短距離走が遅かった僕だが長距離走は得意だった。我慢さえすればそれなりに走れたからだ。さすがにフルマラソンや駅伝など本格的な競技では我慢だけでどうこうなるものだとは思わないが、ベースになっているのは我慢ではないかと少し疑っている。

我慢というのは自分を犠牲にする事だ。自分をないがしろにする事だと思っている。だからどちらかと言うと我慢は良くないものだと感じる。自分の意志を抑える事が我慢じゃないだろうか。「意志薄弱」という言葉の意味の中で矛盾が生まれてしまった。

我慢という言葉がよく分からなくなってきたので調べてみた。どうやら元は仏教用語らしい。

「我慢」… 仏教でいう7つの慢心の一つ,また4つの根本的な煩悩の一つ。自分のなかに,我 (アートマン) またはわがものがあると思う誤った見解。また心おごる煩悩のこと。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

我慢とはおごりだった。煩悩だった。

一度決めた事を他人の意見で覆す

… もうやめよう。意志薄弱という言葉の強度から、意味を掘り下げて見ようと思ったが調べれば調べるほどよく分からなくなってきた。このような事を書いても意味なんぞないし、沢山の人が読むわけでもないし、ええい、やめてしまえ。

という風に書くのをやめた自分の意志の薄弱さ。最近はずっと腰が痛い。

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