アイドリッシュセブンという作品の認識を間違えていたのかもしれない

アイドリッシュセブン ストーリー

アイドリッシュセブンという作品の認識を間違えていたのかもしれない。

2019年の2月に待望のストーリー第4部が配信開始になると知ってから、新作ストーリーの急な摂取による身体の不調を防ぐために、過去のストーリーを少しづつ読み返し始めることにした。実際に読み返していると心理描写のリアリティに改めて驚かされる。

妻とアイナナの話をしている時によく出てくるのが「アイドルものなのに」「アイドルものとは思えない」というフレーズだった。

「アイドルものなのに殺人未遂」
「アイドルものとは思えないエグさ」

当たり前のようにこういった言葉でアイナナを褒め称えてきたのだが、そもそもアイドリッシュセブンとはアイドルものなのだろうか。という疑問が湧いてきた。「アイドルものなのに」という認識がおかしいのじゃないだろうか、と。

以前、雑誌のインタビューで下岡プロデューサーが、アイドリッシュセブンは人間賛歌の物語だと言っているのを読んだことがある。だとすれば、アイドリッシュセブンはサクセスストーリーを描くアイドルものを作っている訳ではなく、人間そのものを描くヒューマンドラマなのではないだろうか。そして人間を描く際のテーマとしてアイドルを用いているのでは。

アイドリッシュセブンとロッキー

ヒューマンドラマで人間の喜びや葛藤を描くのには一つのテーマが必要だ。例えばボクシングをテーマにした名作「ロッキー」を観て僕が感動するのはボクシング最高!ロッキー強い!胸熱!というスポーツ的な側面ではない。なかなか人生が上手く行かない男が偶然チャンスを得て、自らの選択と努力によって未来を切り開こうとする。そんな男の自己証明への闘争に感動しクライマックスの「エイドリアーン!」で涙してしまう。

アイドリッシュセブンという作品におけるアイドルとは、映画「ロッキー」にとってのボクシングだ。アイドルという偶像の世界を生きていく若者達の喜び・苦しみを生々しく丁寧に描く。そこで描かれるものは人間の本質的な感情で、それはアイドルに限らず誰もが感じるものだ。誰でも生きている中で困難に直面することがある。それを乗り越えて生きていく人間の強さ・美しさをアイドリッシュセブンは描いている。

では、アイドリッシュセブンという作品がアイドルである必要はないのか?そこで出てくるのがこの作品の目標である「アイドルの創出」だ。

アイドルの創出とは

アイドリッシュセブンではアイドルをキャラクターとしてではなく一人の人間として扱っている。だからこそアイドリッシュセブンはJR東海のイメージキャラクターに就任したし、TRIGGERは小室哲哉氏から楽曲提供を受け、彼のオールタイムベストアルバムにもその楽曲は収録されている。

そして何よりも2018年の夏にメットライフドームで行われた1stライブ「Road To Infinity」のステージ上では12人のアイドルが踊り歌っていた。それは2次元や3次元、そして2.5次元というカテゴリー分けを大きく超えてIDOLiSH7、TRIGGER、Re:valeがそこにいるとしか言いようがないスペシャルな空間だった。

この様に我々ファンが感動を体験することが出来るのは、制作側(神々)が、細かな部分にまで気を使いアイドルを生み出そうとしてきた努力の賜物だろう。リアルな心理描写を用いた濃密なストーリーで人間を描きつつ、次元の垣根を超えてファンが喜びを得ることが出来る。こんなに様々な面から感動を与えるのは、なかなかの離れ業だ。

ところで「Road To Infinity」で演者は口々に「まだスタート地点に立ったところ」「まだ始まったばかり」と言っていた。最初は、1stライブだから、今回のライブはこれで終わるけどまたライブをやろう、とファンを元気付ける為の言葉かと思っていた。

だがストーリーを読み返していると「まだ始まったばかり」という言葉はそのままの意味で、本当にアイドリッシュセブンという作品は3部まで描かれた事で、やっとスタート地点へ立ったのではと僕は考えるようになってきた。

物語は始まったばかり

これまで描かれてきたストーリーは、それぞれの人物のバックグラウンドや、彼らが抱えているもの、それぞれのグループがどうやって芸能界の荒波を乗り越えて行くのかが物語の中心だった。

最初から少しづつ出てきた、ゼロとは何者だったのか。ノースメイアとはどんな国なのか。これらの未だに本質に触れられていない部分こそがメインのストーリーラインであり、ここまではあくまで物語の本質を語る上で必要なプロローグの段階だったのではないかと考えてしまう。

1部や2部の頃と変わって、急激にシリアスになった3部のキービジュアルこそがアイドリッシュセブンという作品の本来の姿ではないのか。

きっと今後、彼らは物語の中で世界に出ていくだろう。日本の芸能界だけでなく、よりスケールの大きな舞台に飛び立っていく。だからこそ六弥ナギという海外出身者の存在は必然であり、ダグラス・ルートバンクという世界的なポップスターも必要だった。

これから描かれるストーリーはアイドルというカテゴリーに収まらない。例えばマイケル・ジャクソンの様なスターの孤独とは何か。ステージに立つ事とは。芸能とは。芸術とは。ノースメイアでは政治も描かれるだろう。国とは。世界とは。そして人間とは。

We are the world.

彼らの物語は本当に始まったばかりで、ここから我々は更にスケールの大きくなったストーリーにオロオロしながらも進まねばならないのだ。

と、ここまで書いてきたが結局これは僕の妄想なので、今後のストーリーがどうなるのかは分からない。ただアイドリッシュセブンを2次元アイドルものという括りにしてしまうのは勿体無い。少なくとも僕はこの作品を骨太なヒューマンドラマだと思っているし、だからこそ夢中になっている。

単純にコンテンツとしてめちゃくちゃ面白いので、僕はこの作品をリアルタイムに読み進められる事がとても幸せだ。ストーリーを読んでいて、しんどさのあまり体調が悪くなることも多々あるし、涙でiPhoneの画面がビチャビチャになることもある。それでも、この物語を読んでいる最中、もし金髪碧眼の彼に聞かれたら僕はこう答えるだろう。

イエス!アイムハッピー!(異常なまでのハイテンションで)

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